新潟合同法律事務所(新潟県弁護士会所属)

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2018年1月25日

「ふるさと」を想う

<事務所誌ほなみ第123号掲載>

私は自分の経歴の出身地を「大分県」としている。また、「九州育ち」というのも一つ口癖になっている。経歴を詐称しているつもりはないが、私のプロフィールを目にした母から「あんたが生まれたのは東京やで」と指摘された。

 忘れていたわけではない。私は東京都日野市生まれだ。しかし東京では、自宅近くの寿司屋でかっぱ巻きを頬張ったことや、ブランコから落ちて頭を強打した記憶しかない。

 小中高と大分で過ごした。自転車に乗り、山へ行き、秘密基地を作って友だちと夕暮れになると自宅に戻っていた。竹で弓矢を作って飛ばしてみたり、ミニ四駆を河原で走らせたりと忙しかった。多くの幼馴染と、かけがえのない思春期・青春時代を過ごした。喧嘩もしたし仲直りもした。甘酸っぱい思い出のようなものも多分ある。大人からすると「なんちゃない(大分弁で:取るに足らないものの意)」ものが、当時の私にとってはすべてが「しんけんおおごと(大分弁で:とっても大変なことの意)」であった。

 大学に入り福岡で一人暮らしをした。コンビニでの夜勤のバイトでは「接客」や「働く」ということを学んだ。髪を金髪にしたらこっぴどく怒られたりもした。そして何よりも当時所属したテニスサークルの友人ら(先輩・後輩)から「人付き合い」を教えてもらった。その為か博多弁よりも久留米弁に近い言葉に訛るようになった。

 九州に帰るたび、今の私は「かぼす」と「豚骨スープ」でできているのだと感じる。空気、食べ物、そして人。懐かしく、そして優しく迎えてくれる場所。それが「ふるさと」であろうと思う。その意味で「ふるさと」は無機質な「土地」や「場所」とは全く違う。そこに育ち、そこで学び、そこで繋がるといったかけがえのない要素によって構成される極めて有機的なものである。そのような「ふるさと」はいつまでも変わらず、いつまでもあるもの。そう思っていた。

 しかし、現実はそうではない。福島第一原発事故という「人災」によって福島を「ふるさと」とする方々の「ふるさと」は少なからず奪われた。私は自らの事として体感しているわけではない。しかし原発避難者訴訟に関わる中で剥き出しの感情に触れることがある。喪失感・虚無感・絶望感・怒りなど。剥き出しの感情の底には「悔しさ」や「悲しさ」があることに気付かされる。そのような感情を訴える手段として、弁護士として関与できるのは「裁判」しかない。しかしその方法で十分なわけもない。共に怒り、共に悲しみ、共に戦う。それしかできないがそれをやるしかない。私たちは、生まれ育った場所、自分の大切な場所を「ふるさと」として心の中に抱き、それをある種の「よりどころ」にする。そのような「ふるさと」が失われる、かたちが変わる。このようなことは二度と起きてはならない。

 福島原発避難者新潟訴訟は今年佳境を迎える。「ふるさと」とは何なのかについてさらに考え続けていきたい。

 

弁護士 二 宮 淳 悟

 

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