新潟合同法律事務所(新潟県弁護士会所属)

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2017年9月21日

赤とんぼ

 (ほなみ第122号より搭載) 

 僕の目の前を赤トンボがすいすいとんでいって、

  前の塀の上にとまった。

  僕は立ち上がり、ボウシを手にもっと、

  赤トンボを取ろうとして手をのばしたとたん・・・

 

 この3月、広島出張のおり、少し時間をとって平和記念公園と広島平和記念資料館を見学しました。「そのとき私は・・」ではじまる冒頭の文は、平和記念資料館発行の図録「ヒロシマを世界に」のなかに引用されているもので、原爆投下の直前の広島の少年少女の体験を綴ったもの。

 元安川の左岸にある灯和の径を散策しながら平和大橋から原爆ドームに向かう道筋には毛髪碑や平和記念碑をはじめ沢山の慰霊碑が建立されていました。原爆ドームを見た後、相生橋を渡って記念公園に向かいました。原爆の子の像、8月6日の平和記念式典の際にテレビに登場する平和の灯や原爆死没者慰霊碑、さらに峠三吉の詩碑をはじめ様々な碑が目に入りました。

 平和記念資料館には修学旅行の皆さん、家族連れ、海外からの見学者をはじめ大勢の人が訪れていました。破壊された広島市街地の模型パノラマや人影の石。黒こげになった弁当、下駄、水筒、メガネ、8時15分で停止した懐中時計などの遺品。高熱火災によって溶けた一升瓶、溶けた仏像や鉄骨など。見学者の流れは次第に停止し、身動きができないほどになりました。

 2歳の時に爆心地から約1.6キロメートル離れた場所で被爆した佐々木禎子さんの折り鶴のコーナーもありました。小学6年生の秋に突然発症し、翌年、白血病と診断され、入院。鶴を折れば病気が治ると聞き、薬の包み紙などで鶴を折りつづけましたが、その願いもかなわぬまま、8か月の闘病生活の後、12歳の生涯を終えた禎子さんの物語は各国で出版され、今も世界中の子どもたちに語り継がれているそうです。平和へのメッセージのコーナーにはオバマ大統領(当時)が折った鶴も展示されていました。

 1945年8月、アメリカ軍による原子爆弾の投下により、広島で14万人、長崎で7万4000人の人がその年のうちに死亡。しかし、被爆から10年、20年、数十年後に発生する原爆症で死亡したり、治療を余儀なくされている方々も沢山います。

 平和記念公園の訪問者は年間170万人を超えているそうですが、3月に見学したせいか、この公園で開かれた今年の8月6日の記念式典のニュースは例年よりも身近に感じられました。松井広島市長が、「これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に『共感』の輪を広げていただきたい」と訴えているのが印象的でした。

 この7月、国連で122カ国の賛同を得て核兵器禁止条約が採択されました。米国の「核の傘」に頼る日本政府はこれに参加せず、被爆者団体から強い抗議を受けましたが、核兵器廃絶をめざして核兵器禁止条約の署名を求める声をさらに広げる必要があることを痛感しました。

 

弁護士 中村周而

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