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2016年9月27日

鹿瀬発電所

(事務所誌 ほなみ120号掲載)

年秋に行われる新潟水俣病現地調査は、新潟駅前を通常朝9時に出発する。参加者は貸切バスに分乗し、磐越高速道を経由して阿賀町にある昭和電工の旧鹿瀬工場跡に向かう。出発して約1時間後に鹿瀬工場跡を通過して阿賀野川を見下ろす展望台で停車し、ここでツアーの参加者全員がそろって最初の説明を受ける。眼下に鹿瀬発電所(第1発電所)、鹿瀬ダム、第2発電所に遮断された阿賀野川が広がっている。

鹿瀬発電所とその上流にある豊実発電所は、岩越電力が着工していたが、昭和2年11月に東信電気が岩越を合併してこの建設工事を引き継ぐ。川幅が広く豊富な水量に対処するため大井発電所と同じ半川締切工法を採用して進められた鹿瀬発電所が完成したのは3年11月。

この発電所建設に取り組んだのが、東信電気の鈴木三郎助の下で大正8年から発電所の建設部長として活躍し、のちに昭和電工の初代社長となる森矗昶。森は、昭和元年11月に設立された日本沃度(その後の日本電気工業)の社長でもあった。

当時、第1次世界大戦による好景気の中で多くの電力会社が誕生して電力過剰現象が生じ、東京電灯をはじめ5大電力会社の間で、大正末期から昭和の初めにかけて熾烈な電気売り込み合戦が巻き起こっていた。東信電気では森を中心に電力消費型の新企業を起こす計画が進められ、東京電灯と綿密な打ち合わせを重ねて昭和3年10月に設立されたのが昭和肥料であった。同社が鹿瀬工場の建設に着工したのは昭和4年3月、完成したのは5年2月。以後、上流の鹿瀬発電所から電力の供給を受けるようになる。

わが国の有機合成化学工業は、昭和初年頃からはじまったが、豊富な電力とカーバイドを利用し、アセトアルデヒドから合成酢酸を製造して有機合成化学への足がかりとすることを構想し、昭和9年11月に設立されたのが昭和合成化学工業だった。昭和肥料とラサ工業の共同出資で設立された同社の工場は昭和肥料鹿瀬工場内にあった。

昭和14年6月、その昭和肥料と日本電気工業が合併して設立されたのが、昭和電工である。森は昭和16年3月に死去したが、鹿瀬発電所を建設した東信電気も同年10月にその発電設備を日本発送電に出資して解散する。

戦後、昭和32年5月には昭和合成化学工業が昭和電工と合併。間もなく鹿瀬工場ではアセトアルデヒドの大増産がはじまる。阿賀野川流域に新潟水俣病が発生したのは、合併から8年後の昭和40年6月である。

鹿瀬発電所は、その後もダムの直下で展開される様々なドラマを見届けることになる。

弁護士 中村 周而

 

 

著者:

中村 周而さまざまな問題を依頼者の皆様と一緒に考え、解決をめざします。 最近は、社会の高齢化が進む中で、高齢者をめぐる貧困、医療、介護、家族との関係などさまざまな問題が深刻さを増しています。私もそうですが、団塊の世代を含めた高齢者が、もっと声を大にして問題の深刻さを訴える必要がありそうです。

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