2018年5月21日
棋士の存在意義
昨年,将棋の佐藤天彦名人がコンピューター(AI)と対戦しました。名人から見て2戦2敗となり,コンピューターがトップレベルのプロ棋士よりも強いという結果になりました。
では,今後,プロ棋士という職業の存在意義はなくなってしまうのでしょうか。
私はそうは思いません。
例えば,現在は時速200キロ以上の球を投げることができるピッチングマシンがあります。しかし,マシンの球の方が速いからといって,プロ野球の投手が160キロの速球を投げることに何の価値もないという人はいないでしょう。プロ野球で人間が投手をするのを全部やめて,マシンに投手をさせようということにもならないと思います。
将棋にせよ野球にせよ,トップレベルの人間同士が心技体知を尽くして相手に挑む,お互いに心の中を読みあったり,ときには感情的になったりもする。こうした人間対人間の対決の中に勝負の魅力があるのであって,コンピューターや機械が人間のレベル以上に発達したとしても,片方の相手が人間ではない勝負というのは見ていて味気なく,そこにドラマや勝負の醍醐味を見出すことはできないのはないでしょうか。
そういう意味では,プロ棋士という職業はこれからも存在し続けると思いますし,そうあってほしいものだと思います。
弁護士 小淵真史
著者:小淵 真史
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