2020年1月16日
百人一首は“いとをかし”
今年こそはよい年でありますようにと、「神」と「仏」に願いを込め、おみくじを引いて、一年の運だめし。恒例のお正月の風景です。
お正月といえば、いろはかるたや百人一首のかるた取りも正月の風物ですが、百人一首の「ちはやぶる」(在原業平)と「瀬をはやみ」(崇徳院)は古典落語にも出てくる和歌です。
古典落語の「ちはやふる」では長屋のご隠居がいいかげんな解説を面白おかしく行う話です。
ところで、百人一首は恋の歌や桜にちなんだ和歌が多いのですが、昨年は「桜を見る会」の招待客名簿やデータを廃棄して、「反社会的勢力」を招待した疑惑を隠そうとしていたことが報道されました。
落語に出てくる「ご隠居」風に百人一首を現代風に風刺して解説してみると…
忍ぶれど色にでにけりわが恋は 物や思うと人の問うまで(平兼盛)
この「恋」を「故意」にすると、ひたすら隠していた招待客名簿の廃棄を指示したことが質問責めにあって顔色や態度からわかってしまい、誰の指示で行なったのかと様々な人から問われている安倍政権の心情を歌った「故意心」の歌だということになるのでしょうかねえ。
恋すてふ我が名はまだ立ちにけり 人知れずこそ思いそめしか(壬生忠美)
「しのぶれど」と対になるのがこの歌です。ポスト安倍として話題となる議員の名前が出ては消える政界ですが、ポスト安倍の座を待ち続け、「桜を見る会」の弁解の矢面に立たされ、言い訳のほころびを隠しきれない「令和おじさん」や名前が上がるのを心待ちにして人知れず次の政権を目指して心待ちをしている議員の心情を歌った和歌といえます。
かくとだに えはや伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思いを(藤原実方朝臣)
この歌はお灸のもぐさのようにじりじり燃え上がる恋心を察してくれない思いを歌ったものですが、安倍政権の失態がいくつもありながら、選挙で反映してくれないことへのもどかしさ、政権打倒への熱い思いを歌った野党の国民へのラブコールの歌ということでしょうか。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに(河原左大臣)
この歌は、未知の苦しみ(みちのくの)は、誰が出したのかわからないが(誰ゆえに)、ひそかに出された匿名の投書(忍ぶ文字刷り)で露顕し、そのストレスで夜も眠れなくなり(乱れ染めにし)、奈落の底に落とされて泣きたいような気持ち(我ならなくに)にさせられている、文春報道で疑惑がもたれた議員やお役人の心情を歌ったものかねえ。
ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ(紀友則)
この歌は、暖かい日差しとなった春の日に、心静かに休むことができない首相の座を、桜の花が散るように潔く引退して明渡すことを願う庶民の気持ちを歌ったもの。
このように、百人一首は掛け言葉を思い思いに置き換えて、ご隠居風の解説をすると、けっこう楽しめます。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
これは平家物語の一節ですが、「桜を見る会」や「もりかけ」に象徴される、政権の私物化をするおごれる長期政権が沙羅双樹の花の色のように衰え、新春の夢のように終わり、憲法九条の改悪もなく、今年も元気で平穏に過ごせることを願っています。
今年こそはよい年でありますようにと、「神」と「仏」に願いを込め、おみくじを引いて、一年の運だめし。恒例のお正月の風景です。
お正月といえば、いろはかるたや百人一首のかるた取りも正月の風物ですが、百人一首の「ちはやぶる」(在原業平)と「瀬をはやみ」(崇徳院)は古典落語にも出てくる和歌です。
古典落語の「ちはやふる」では長屋のご隠居がいいかげんな解説を面白おかしく行う話です。
ところで、百人一首は恋の歌や桜にちなんだ和歌が多いのですが、昨年は「桜を見る会」の招待客名簿やデータを廃棄して、「反社会的勢力」を招待した疑惑を隠そうとしていたことが報道されました。
落語に出てくる「ご隠居」風に百人一首を現代風に風刺して解説してみると…
忍ぶれど色にでにけりわが恋は 物や思うと人の問うまで(平兼盛)
この「恋」を「故意」にすると、ひたすら隠していた招待客名簿の廃棄を指示したことが質問責めにあって顔色や態度からわかってしまい、誰の指示で行なったのかと様々な人から問われている安倍政権の心情を歌った「故意心」の歌だということになるのでしょうかねえ。
恋すてふ我が名はまだ立ちにけり 人知れずこそ思いそめしか(壬生忠美)
「しのぶれど」と対になるのがこの歌です。ポスト安倍として話題となる議員の名前が出ては消える政界ですが、ポスト安倍の座を待ち続け、「桜を見る会」の弁解の矢面に立たされ、言い訳のほころびを隠しきれない「令和おじさん」や名前が上がるのを心待ちにして人知れず次の政権を目指して心待ちをしている議員の心情を歌った和歌といえます。
かくとだに えはや伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思いを(藤原実方朝臣)
この歌はお灸のもぐさのようにじりじり燃え上がる恋心を察してくれない思いを歌ったものですが、安倍政権の失態がいくつもありながら、選挙で反映してくれないことへのもどかしさ、政権打倒への熱い思いを歌った野党の国民へのラブコールの歌ということでしょうか。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに(河原左大臣)
この歌は、未知の苦しみ(みちのくの)は、誰が出したのかわからないが(誰ゆえに)、ひそかに出された匿名の投書(忍ぶ文字刷り)で露顕し、そのストレスで夜も眠れなくなり(乱れ染めにし)、奈落の底に落とされて泣きたいような気持ち(我ならなくに)にさせられている、文春報道で疑惑がもたれた議員やお役人の心情を歌ったものかねえ。
ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ(紀友則)
この歌は、暖かい日差しとなった春の日に、心静かに休むことができない首相の座を、桜の花が散るように潔く引退して明渡すことを願う庶民の気持ちを歌ったもの。
このように、百人一首は掛け言葉を思い思いに置き換えて、ご隠居風の解説をすると、けっこう楽しめます。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
これは平家物語の一節ですが、「桜を見る会」や「もりかけ」に象徴される、政権の私物化をするおごれる長期政権が沙羅双樹の花の色のように衰え、新春の夢のように終わり、憲法九条の改悪もなく、今年も元気で平穏に過ごせることを願っています。
今年こそはよい年でありますようにと、「神」と「仏」に願いを込め、おみくじを引いて、一年の運だめし。恒例のお正月の風景です。
お正月といえば、いろはかるたや百人一首のかるた取りも正月の風物ですが、百人一首の「ちはやぶる」(在原業平)と「瀬をはやみ」(崇徳院)は古典落語にも出てくる和歌です。
古典落語の「ちはやふる」では長屋のご隠居がいいかげんな解説を面白おかしく行う話です。
ところで、百人一首は恋の歌や桜にちなんだ和歌が多いのですが、昨年は「桜を見る会」の招待客名簿やデータを廃棄して、「反社会的勢力」を招待した疑惑を隠そうとしていたことが報道されました。
落語に出てくる「ご隠居」風に百人一首を現代風に風刺して解説してみると…
忍ぶれど色にでにけりわが恋は 物や思うと人の問うまで(平兼盛)
この「恋」を「故意」にすると、ひたすら隠していた招待客名簿の廃棄を指示したことが質問責めにあって顔色や態度からわかってしまい、誰の指示で行なったのかと様々な人から問われている安倍政権の心情を歌った「故意心」の歌だということになるのでしょうかねえ。
恋すてふ我が名はまだ立ちにけり 人知れずこそ思いそめしか(壬生忠美)
「しのぶれど」と対になるのがこの歌です。ポスト安倍として話題となる議員の名前が出ては消える政界ですが、ポスト安倍の座を待ち続け、「桜を見る会」の弁解の矢面に立たされ、言い訳のほころびを隠しきれない「令和おじさん」や名前が上がるのを心待ちにして人知れず次の政権を目指して心待ちをしている議員の心情を歌った和歌といえます。
かくとだに えはや伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思いを(藤原実方朝臣)
この歌はお灸のもぐさのようにじりじり燃え上がる恋心を察してくれない思いを歌ったものですが、安倍政権の失態がいくつもありながら、選挙で反映してくれないことへのもどかしさ、政権打倒への熱い思いを歌った野党の国民へのラブコールの歌ということでしょうか。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに(河原左大臣)
この歌は、未知の苦しみ(みちのくの)は、誰が出したのかわからないが(誰ゆえに)、ひそかに出された匿名の投書(忍ぶ文字刷り)で露顕し、そのストレスで夜も眠れなくなり(乱れ染めにし)、奈落の底に落とされて泣きたいような気持ち(我ならなくに)にさせられている、文春報道で疑惑がもたれた議員やお役人の心情を歌ったものかねえ。
ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ(紀友則)
この歌は、暖かい日差しとなった春の日に、心静かに休むことができない首相の座を、桜の花が散るように潔く引退して明渡すことを願う庶民の気持ちを歌ったもの。
このように、百人一首は掛け言葉を思い思いに置き換えて、ご隠居風の解説をすると、けっこう楽しめます。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
これは平家物語の一節ですが、「桜を見る会」や「もりかけ」に象徴される、政権の私物化をするおごれる長期政権が沙羅双樹の花の色のように衰え、新春の夢のように終わり、憲法九条の改悪もなく、今年も元気で平穏に過ごせることを願っています。
今年こそはよい年でありますようにと、「神」と「仏」に願いを込め、おみくじを引いて、一年の運だめし。恒例のお正月の風景です。
お正月といえば、いろはかるたや百人一首のかるた取りも正月の風物ですが、百人一首の「ちはやぶる」(在原業平)と「瀬をはやみ」(崇徳院)は古典落語にも出てくる和歌です。
古典落語の「ちはやふる」では長屋のご隠居がいいかげんな解説を面白おかしく行う話です。
ところで、百人一首は恋の歌や桜にちなんだ和歌が多いのですが、昨年は「桜を見る会」の招待客名簿やデータを廃棄して、「反社会的勢力」を招待した疑惑を隠そうとしていたことが報道されました。
落語に出てくる「ご隠居」風に百人一首を現代風に風刺して解説してみると…
忍ぶれど色にでにけりわが恋は 物や思うと人の問うまで(平兼盛)
この「恋」を「故意」にすると、ひたすら隠していた招待客名簿の廃棄を指示したことが質問責めにあって顔色や態度からわかってしまい、誰の指示で行なったのかと様々な人から問われている安倍政権の心情を歌った「故意心」の歌だということになるのでしょうかねえ。
恋すてふ我が名はまだ立ちにけり 人知れずこそ思いそめしか(壬生忠美)
「しのぶれど」と対になるのがこの歌です。ポスト安倍として話題となる議員の名前が出ては消える政界ですが、ポスト安倍の座を待ち続け、「桜を見る会」の弁解の矢面に立たされ、言い訳のほころびを隠しきれない「令和おじさん」や名前が上がるのを心待ちにして人知れず次の政権を目指して心待ちをしている議員の心情を歌った和歌といえます。
かくとだに えはや伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思いを(藤原実方朝臣)
この歌はお灸のもぐさのようにじりじり燃え上がる恋心を察してくれない思いを歌ったものですが、安倍政権の失態がいくつもありながら、選挙で反映してくれないことへのもどかしさ、政権打倒への熱い思いを歌った野党の国民へのラブコールの歌ということでしょうか。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに(河原左大臣)
この歌は、未知の苦しみ(みちのくの)は、誰が出したのかわからないが(誰ゆえに)、ひそかに出された匿名の投書(忍ぶ文字刷り)で露顕し、そのストレスで夜も眠れなくなり(乱れ染めにし)、奈落の底に落とされて泣きたいような気持ち(我ならなくに)にさせられている、文春報道で疑惑がもたれた議員やお役人の心情を歌ったものかねえ。
ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ(紀友則)
この歌は、暖かい日差しとなった春の日に、心静かに休むことができない首相の座を、桜の花が散るように潔く引退して明渡すことを願う庶民の気持ちを歌ったもの。
このように、百人一首は掛け言葉を思い思いに置き換えて、ご隠居風の解説をすると、けっこう楽しめます。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
これは平家物語の一節ですが、「桜を見る会」や「もりかけ」に象徴される、政権の私物化をするおごれる長期政権が沙羅双樹の花の色のように衰え、新春の夢のように終わり、憲法九条の改悪もなく、今年も元気で平穏に過ごせることを願っています。 弁護士 土屋俊幸(事務所誌ほなみ第127号掲載)
「笑わない男」の名言
紳士のストライキ