2020年1月15日
紳士のストライキ
(事務所誌ほなみ第127号掲載)
昨年秋、ある高速道路のサービスエリアの売店で、従業員が経営者の理不尽な経営姿勢に抗議してストライキを行ったというニュースを聞いた。ストライキは、働く人が労働条件の改善を使用者に迫る手段のひとつだが、“ストライキ”という言葉で今でもふっと思い浮かぶ情景がある。
今から40年以上前の高校生時代。3年3組の教室。カラッと晴れた4月のある朝。一限の授業の始まりを告げるチァイムが鳴る。私たち黒い学生服らはみな着席していた。
少ししてクラス担任のM先生が入ってきた。「あれ? 一限は日本史だからK先生のはずだが・・・」と黒い学生服らは少しざわついた。
M先生は、50才くらいの英語の先生、たしか学年主任でもあった。小柄で痩せていて、眉はキリッと太く頬は少しこけていた。髪はきれいな七三分け。黒の丸ぶちメガネの奥の目は、ふだんは穏やかだが、授業に身が入らない生徒への眼光は鋭い。生徒を「〇〇君、答えは?」「諸君は、・・・」と君付けで呼んでいた。いつも品の良いスーツにネクタイで、身のこなしもスマート、英国紳士っぽいたたずまいだった。
そんなM先生が、黒板前の教壇で立ち止まり、両手を教壇の両端に置きながら、学生服らに向かって言った。「今日は諸君に謝らなければならない。これから先生たちはストライキに入る。だから突然だが一限は自習とする、授業ができず済まない。」私たちを見回しながら、静かなしかしきっぱりとした声だった。言い終えると、M先生はおもむろに教室を出て行った。
私たちはポカンとしていた。事態をすぐには飲み込めなかった。M先生が去って少しして教室はざわめき始めた。「へぇ~」とか「何だ?」と言いながら急にくつろいだ風が吹いた。当時の私たちには「ストライキ」より「自習」という言葉が断然耳に残った。結局、誰ひとり自習などせず期せずして楽しい休み時間となった。私たち高校生には、M先生の物静かな英国紳士の風貌と、こぶしをふり上げ闘うイメージのストライキという言葉がうまく結びつかなかった。
今から思えば、M先生は、労働組合に入っていて、公務員である教員の勤務条件の改善を求めて、減給覚悟で懲戒処分となる時間ギリギリまで勤務時間に食い込むストライキをしていたのだ。
幼い私たちはそんなことにはまるで思いが至らず、突然の「自習」に何か得した気分を満喫していただけだった。ちょうど同じ頃、同じ学校のどこかで、もの静かで英文法に造詣が深かった紳士が、組合の腕章を腕に巻きハチマキをつけ、日本史のK先生と一緒に労働歌を歌いながら腕を組み合いストライキを遂行していた。
そんなM先生の姿を想像すると涙が出てきそうになる。
弁護士 金 子 修
百人一首は“いとをかし”
新年のご挨拶