新潟合同法律事務所(新潟県弁護士会所属)

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2018年9月14日

青森港

6月下旬、新潟発の新幹線を利用して日帰りの予定で青森に出かけた際、少し時間があったので青森駅にほど近い青森港を散策した。陸奥湾の最奥部に位置するこの港は、江戸時代初期に弘前藩によって開かれ、江戸時代を通じて藩の商港として栄えた。明治の末期、1908(明治41)年に青函連絡船が就航すると、北海道と本州を結ぶ港としてその重要性が高まり、1988(昭和63)年3月13日に80年の歴史の幕を閉じるまで、青函連絡船の乗客数は延べ1億6000万人、輸送貨物2億5000万トンを数えたという。

青森港にかつて連絡船として活躍した八甲田丸が、メモリアルシップとして係留され、海上博物館として利用されていることが分かり、その近くに行ってみた。総トン数は8313.75トンで、全長132メートル。青森駅からの線路が港の車両搬入口まで続いていたようで、鉄道車両をそのまま船内に格納して海上運搬することができた。八甲田丸は青函連絡船で最後に車両航送を行った船だという。

その日は、船内を見学する時間がなかったが、インターネットで調べてみると、八甲田丸の船尾には「波の進入を防ぐ厚い扉が付いており、航海中はしっかりと扉が閉められることになっている」という説明があったが、以前はそうではなかった。昭和29(1954)年「洞爺丸台風」の襲来で、当時船尾扉がなかった船に海水が入り、すべての制御盤が起動しなくなったことから座礁・転覆。タイタニック事故以来の大惨事となったという。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ日本海難史需要最大の惨事となった洞爺丸事故は、水上勉の「飢餓海峡」や三浦綾子の「氷点」にも題材とされているが、この海難事故を契機として船尾扉を備えた新型船が登場することになる。八甲田丸もそのひとつ。それと並行して青函トンネルの着工がはじまり、やがて青函連絡船は80年の歴史の幕を閉じることになる。

八甲田丸の船首に向けて岸壁沿いに移動すると、あの「津軽海峡冬景色」の歌謡碑があった。正面に立つとセンサーで歌が始まるような仕掛けになっている。「さよなら あなた 私は帰ります」という歌詞以外に、何故、風の音が泣けとばかりに胸をゆするのか分からないが、なんとなくそんな気にさせてくれる名曲である。改めて青森港に来たことを実感した。                              弁護士中村周而

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