2009年6月22日
「死刑」は消えゆく刑罰
ことし5月21日から裁判員裁判が実施されました。裁判員裁判が死刑の可能性がある犯罪を対象とするから、「今まで裁判なんて縁のなかった一般の人たちに、死刑を宣告するかどうかを決めさせるのは重すぎる」という声があちこちから出ています。
死刑制度は、昔から「廃止すべきだ」「いや存続すべきだ」という深い対立があります。またそれぞれの言い分にも、「それもそうだよな。」と思わせるもっともな理由があります。正直言って、私自身は、死刑は廃止すべきでないかという方向に傾きつつも、明確には踏み切れていないという状態です。
そこであらためて、死刑が適用される可能性のある犯罪にはどんなものがあるか少し調べました。
殺人、強盗致死、強盗強姦致死、現住建造物等放火、汽車転覆等致死、航空機強取等致死、決闘殺人、爆発物使用、内乱(首謀者)・・・・・ やはり、人の命を奪った者はその命を奪うことであがなう、というのが圧倒的のようです。
“命は命であがなう”というと、「目には目を、歯には歯を」と言われるハンムラビ法典(4000年前の古代バビロニアの法典)を思い出させます。それではハンムラビ法典にはどんな法文があったのか、少しインターネットで調べてみました。
第195条 もし子が自分の父を打った時は、彼の手を切る。
第196条 もし人が人の息子の目をつぶした時は、彼の目をつぶす。
第197条 もし人が人の息子の骨を折った時は、彼の骨を折る。
第200条 もし人が彼と同格の人の歯を落とした時は、彼の歯を落とす。
たしかに、“目には目を、歯には歯を、手には手を、骨には骨を”です。しかし、これらの刑罰は、4000年後の現代社会では廃れてしまい、どこの国でも刑罰として採用しているところはないと思います(私の知るかぎりでは)。
人間は、4000年という長い歴史の中で、“目には目を”という刑罰のやり方を克服してきたのではないでしょうか。すると、その究極とも言える“命には命を”=死刑という刑罰も、いずれは消えゆく運命にあるように思います。
そうすると、いま私たちの考えるべきことは、皆の合意の下で、いかにスムーズに、死刑という刑罰のその消えゆく運命をまっとうさせるか、ということになるのでしょうか。
(弁護士 金 子 修)
著者:金子 修
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