2021年8月24日
いつの間にか慣れてしまって
“自粛”とは、自発的に制限すること、遠慮すること。“要請”とは他者に対して何かを頼むことです。昨年から続く“自粛要請”というのは、なんとも日本らしいとはいえ、いつの間にか市民権を得てしまっています。
また、マスクが手放せなくなってから一年以上が経ちました。街に出ても、マスクを着けていない人を見ることもほとんどありません。飲食店にはアクリル板の衝立が設置されていますし、会議や仕事ではもっぱらオンラインということも増えました。そういった日常生活に私も慣れてしまいました。
緊急事態宣言の真っ只中、東京オリンピック・パラリンピックが開催されました。「無観客開催」という方法で過去に例のない大会であったものの、これが「スポーツの力」なのでしょうか。陸上、水泳、野球やサッカーなどなど。洗練されたアスリートの方々の躍動、日本選手のメダルラッシュ、連日のニュースで取り上げられるオリンピック選手らの特集に少なからず感動した方も少なくないと思われます。
さて、この記事を書いているのはオリンピック開会前です。反対や延期の国民の声を聴くこともなく、「復興五輪」「コロナに打ち勝った証」という謳い文句は完全に崩れさっているにもかかわらず、「いつの間にか」開催ありきで進められています。ワクチンについても、職域接種の新規受付は中止され、混乱と不安が広がっています。ここ数年の政治を見ていると、オリンピックについてもコロナ対策についても溜息しかで出ませんが、そういった政府に「慣れてしまって」いないでしょうか。
いつの間にか慣れてしまうことと忘れてしまうことは違います。安保関連法が強行採決された際、政府関係者からは「支持率は下がるだろうが、国民は時間がたてば忘れるだろう」との声も聞こえていたところです。ちょうど80年前、「いつの間にか始まっていた。止められなかった」という辛く悲しい歴史を私たちは知っています。今年の秋には衆議院選挙があります。いつの間にか慣れてしまったとしても、オリンピックの感動があったとしても、これまでの政治が私たちの生活を守るものだったのかどうか。今一度思い出しましょう。行きましょう。選挙。
弁護士 二宮 淳悟
(事務所誌ほなみ第130号掲載)