2010年2月18日
ノーモア・ミナマタ新潟訴訟第3回弁論
第3陣提訴で原告は74名に
この間、熊本地裁に係属中のノーモア・ミナマタ国賠訴訟は、1月22日に裁判所からの和解勧告を受けて和解協議に入った。これが契機となって、1月30日に開かれた阿賀野患者会の原告全員団結集会では、和解協議に向けて環境省との間で事前協議を持つことを決めた。その前後から提訴希望者も急増した。2月3日午前11時30分から開かれた第3回弁論に先立ち、阿賀野患者会の31名の会員が第3陣として提訴し、原告団に加わった。当日、新潟県内は26年ぶりの豪雪で至る所で交通が渋滞したが、一挙に74名となった原告団の意気は大いに盛り上がった。
第3回口頭弁論の冒頭で、私は第3陣の提訴で原告数は74名になったことを報告し、原告の平均年齢が70歳を越していることを直視すれば、本件では全員救済と共に一日も早い解決が求められていることを指摘した。また1月30日の原告全員集会では、参加者全員で国・環境省と早急に和解協議をめざした事前協議に入ることを確認し、環境省に連絡したことを伝えた。
水俣病の苦しみを分かってほしい
この日の弁論では原告の市村昭子さん(78歳)が意見を述べた。子どもの頃から阿賀野川で獲れた魚を毎日のように食べていた市村さんは、手足のしびれやこむらがえりで悩まされた。昭和42年に新潟大学で検査を受けたが、「大丈夫」と言われてそのままにしていた。しかし、70歳頃から症状が悪化し、平成20年に関川先生の診察を受け、ようやく水俣病と診断された。「私の願いは水俣病の苦しみを昭和電工の社長にわかってほしいこと」と訴えた。
被告らの主張する病像論に明快に反論
当日は、原告代理人の味岡申宰弁護士と川上耕弁護士が、国と昭電の主張する病像論に詳細に反論した。
味岡弁護士は、昭和53年通知は、昭和46年通知の認定要件を狭めたり改悪したものではないという国の主張に対し、「昭和52年判断条件と53年通知は、昭和46年通知の認定要件を改悪し、患者切り捨ての認定制度を運用し続けた」もの、そもそも「昭和46年通知は、従来の水俣病認定審査会の狭い診断基準を間違いであるとして棄却処分の取消の裁決を出し、水俣病認定基準の統一的見解を示すために発せられたものであった」と反論した。
川上弁護士は、昭電が、行政認定を棄却された者は患者でないという決着済みの誤った主張を持ち出し、これまでの司法の判断を歪曲していると指摘。平成16年の最高裁判決は、大阪高裁判決が示した水俣病の病像論を正しいと認めたものでなく、水俣病の病像論は司法上確立されていないという昭電の主張を粉砕した。
次回口頭弁論は、5月20日(午前11時半)となった。
弁護士 中村 周而
著者:中村 周而
さまざまな問題を依頼者の皆様と一緒に考え、解決をめざします。 最近は、社会の高齢化が進む中で、高齢者をめぐる貧困、医療、介護、家族との関係などさまざまな問題が深刻さを増しています。私もそうですが、団塊の世代を含めた高齢者が、もっと声を大にして問題の深刻さを訴える必要がありそうです。