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2018年5月17日

勲章と憲法(その二)

明治憲法下の叙勲と祖父の場合

明治憲法(大日本帝国憲法)には叙勲の規定はなく、当時の先進国であったヨーロッパ諸国を参考にして、政府が政令(太政官布告)によって叙勲制度をつくり運用しました。

私の祖父は、農家の婿養子に入り、一家の大黒柱とし田んぼ仕事に励んでいたところ、応召されました。当時は、日本は満州事変を皮切りに格的に中国大陸に軍事侵略を進めた頃で、世界から批判されたものの、日本国内では『爆弾三勇士』などの戦争賛美の映画や歌が流行り、急速に軍国主義の雲が社会を覆うようになりました。

そんな世相の中、祖父は同じ地域の若者たちとともに応召され、陸軍伍長として前線に送られ上海郊外で戦死しました。30才でした。父の話では、祖父は勇敢で突撃隊の一人として中国軍に向かい突っ込んで行ったそうです。働き盛りの大黒柱を失い、祖母は、自ら田畑を耕し、幼い父や妹それに当時同居していた兄弟たちの生活を必死に支えたそうです。そんな祖母は、過労がたたったのか戦後まもなく40才代で亡くなりました。

ゴールデンウィークで帰った実家で、しばらくの間、仏壇の脇の高い所に立てかけてある軍服姿の祖父と青白い顔の祖母の写真を見上げました。勲章は、国民に「私は天皇の赤子、臣民なのだ。それで良いのだ」と実感させる象徴だったと改めて思いました。しかし、戦争に人生を翻弄された祖父母の心情を想像するとその代償は不釣り合いに大きく、暗澹とした気持ちが襲ってきました。(つづく)

 

弁護士 金子修

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