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2016年9月26日

 NHK大河ドラマ『真田丸』をほぼ毎週見ています。大河にはまったのは久々です。
この原稿を書いている頃は、関が原の合戦の直前、晩年の太閤秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を計画し実行していた時代が映し出されています。
天下人となった秀吉は、中国大陸でも天下人となろうと考え、その通過地点として朝鮮半島に出兵しました(別の説もあるそうです)。天下人の号令のもと、諸国の武将が九州・博多に集結し、次々と朝鮮半島へ出発して行きました。
結局、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)は、出兵して7年後、秀吉の死により結末を迎え、日本の武士たちも引き上げました。
その三〇〇年余りあと、日本は再び朝鮮半島を力づくで支配しようとします。韓国併合です。最初の朝鮮総督(併合後の統治の最高責任者)の寺内正毅(まさたけ)は、現地に赴任してこのような短歌を詠みました。
「小早川 加藤 小西が世にあらば 今宵 の月をいかにして見るらも」
秀吉の命令で朝鮮出兵した武将たち(小早川秀秋、加藤清正、小西行長)が今生きていれば、朝鮮を日本のものとしたこの夜の月をどのような気持ちで見上げるだろうか、とうたいました。
これに対し、腹心の一人が返歌としてこのような歌を詠んだそうです。
「太閤を地下より起こし見せばやな高麗 (こま)やま高くのぼる日の丸」
おべっかに近い返歌ですが、自分たちの大陸侵攻を豊臣秀吉の“偉業”に重ね合わせ、「日本はアジアの盟主になるぞ」「日本精神を世界に広めるぞ」という意気込みをまぶしく感じます。
しかし、寺内総督が追慕した秀吉の朝鮮出兵では、日本側だけで数万人が死亡し(その多くは病死、餓死)、朝鮮側は応援に来た中国(当時は明)も含め、その何倍もの兵士・農民が殺されたということです。
さらに、関わった国々の国力が急速に衰え、まもなく明は清に滅ばされ、朝鮮は清の属国にされました。
日本も、豊臣家が滅亡し徳川幕府の時代になりました。秀吉の出兵を追慕した寺内総督たちの朝鮮支配もまた長続きせず、35年後日本は朝鮮半島から撤退しました。
7月の参議院選挙で再び多数を占めた安倍政権は、憲法を無視して、日本を「海外で戦争のできる国」にする政策を一層推進しようとするでしょう。安倍首相には、四〇〇年前の太閤秀吉が、一〇〇年前の寺内総督が、それぞれあなたと通じる思いを抱きながら同じ月を見上げていたのだと感じてほしいものです。
秋の月はきれいです。ちなみに、真田家は、朝鮮半島に渡らず留守部隊として博多にとどまり、その後、関が原の合戦、大阪冬の陣と歴史に翻弄されていきます。

弁護士 金子 修

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