2021年1月18日
「学問の自由」を見つめ直す
日本学術会議の任命の問題で、にわかに「学問の自由」が話題になりました。しかし、一般の方が「学問の自由」に対して持つ印象は、学者が研究室の中で一生懸命調べものをしたり実験をしている、というようなものではないでしょうか。その意味からは、任命拒否問題で「学問の自由」と言われても、ピンとこない人がほとんどだと思います。
「学問の自由」は戦前の憲法には規定がありませんでした。ただ、それはそういう発想がなかったからではなく、あえて除外されたのです。戦前の憲法を発布した初代総理大臣伊藤博文の憲法資料には、次のように書かれています。
「学問ト教育トハ自由ナリト云フコト、普国ノ憲法ニモ明条アリシ。…若シ右ノ如ク教育ノ自由ト云フコトヲ明載スルトキハ、必ズ是ヨリ百端ノ議論ヲ生ジテ為メニ行政ノ権力ハ甚減殺セラルベシ」
読みにくいですが、「学問や教育が自由であるということがプロセイン憲法には書かれているが、それを認めたら、いろんな議論が生じて、そのために行政の権力が著しく損なわれる」というような意味です。つまり、行政が権力を守るために学問の自由をわざと排除したのですね。
そのことがひいては、思想の統制や軍国主義を招き、悲惨な戦争の原因にもなってしまったという反省のもと、戦後の憲法では、学問の自由が明記されるようになったのです。そう考えると、少ない憲法の条文の中に、学問の自由が書かれていることには、民主主義や思想良心の自由などと結びつく、かなり重要な意味と経緯があるといえそうです。
任命拒否問題で心配されるのは、政府にとって都合の良い見解の学者だけを選ぶようなことが行なわれるようになってしまうと、それは戦前の憲法で学問の自由を排除した発想に近いものではないか、というところにあるのだと思います。
「学問の自由」は憲法の条文の中では、どちらかというと地味な存在ですが、今回の問題は、「学問の自由」の意義を見つめ直すきっかけを与えてくれたように思います。
今年という年が、平和で、人権と自由が守られた年になることを祈りたいと思います。
弁護士 近藤 明彦
事務所誌第129号「ほなみ」より
遠い未来の物語
皆さん、今年は少し怒りましょう