2012年2月10日
たまねぎを食べない権利
(事務所誌「ほなみ」第110号掲載)
私はたまねぎが苦手です。しかし、世の中には、たまねぎが大好きな人もいます。幸い、たまねぎが大好きな人が私に無理やりたまねぎを食べさせたり、逆に私が他の人にたまねぎを食べることを禁じたり、といったことは起こりません。
これが食べ物ではなく、洋服や住む場所、友だち関係でも同じことです。自分の財布や家族と相談する必要はあったとしても、少なくとも他人に強制されたり禁止されたりすることなく、自分の好きな服を着て、好きな場所に住み、好きな友だちと付き合うことができます。
ところが、ある歌を歌いたくない人に対して、歌うように強制したい人たちがいます。その歌が好きな人は歌えばいいいし、好きでない人は歌わなければいいと思うのですが、歌いたくない人にまでどうしても歌わせたいようです。
また、あるカップルはそれぞれ自分の名前が気に入っているのに、他の人が「同じ名字にしなければうまくいかないよ」と言って、無理やり名字を変えさせることもあります。
人にはそれぞれ好みがあり、考えがあります。
日本の憲法は、「自分はこれがいいと思うけど、この人はそう思わないんだな」「むしろ、私たちはお互いに違うところに意味があるんだな」とお互いにお互いを尊重し合える世の中を描いています。お互いが、「私の考えの方が正しいのに、どうしてこの人は私の言うことを聞かないんだろう」「私の言うとおりにしてやろう」という世の中では、いつ何時、タマネギを口に押し込まれたり、逆にタマネギ禁止令が出たりするか分かったものではありません。
DV加害者は、このような発想をしているので、パートナーの幸せのためと信じて自分の考えを押しつけてきます。ですので、DV加害者には罪悪感がなく、むしろ自分は優れた人間であり、ダメなパートナーを助けてやっていると思っている人が多いのです。
自然災害や世界的な不況の影響もあり、強いリーダーに頼りたくなりますが、社会全体がDV家庭のようにならないためにも、どんなときもお互いの考えを尊重することは忘れないでいきたいと思います。
弁護士 内 山 晶
阿賀は訴える