2016年10月6日
三十数年ぶりの「論語」
「学而不思則罔、思而不学則殆」(学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ちあやうし)
中学生の娘から漢文の質問を受けて、そういえば、その昔習ったことがあると思い出し、その意味を説明しながら、自分でギクッとしてしまいました。あまりにも、物事の本質をついているからです。
私なりに意訳をしてみると、「知識ばかりを詰め込み自分の頭で考えることをしなければ、物事の道理は見えない。逆に、きちんと学習をせずに自分の頭で考えただけで行動するのは、独りよがりで危険である。」ということでしょう。
法律家の仕事はまさにそういう危険があるように思います。前者の例は、法律や判例がそうなっているからと思考停止をしてしまうこと。正義はあっても法的には無理と簡単にあきらめてしまうことや、紛争の妥当な解決を考えずに杓子定規に法の適用をしてしまうような場合が挙げられます。後者の例としては、理論的な裏打ちがないにもかかわらず、正義感や自分の信念だけで動いてしまったり、自らの経験を過信し、新しい法律や判例を学習せずに落とし穴にはまるような場合が挙げられるでしょう。
日々の学習を怠らず、法に対して謙虚でありつつも、批判的な精神を忘れず、よりよいものを追求しようとする姿勢を持ち続けることの重要性を改めて考えさせられました。
もう一つ。
「不患人之不己知、患己不知人也」(人の己を知らざるをうれえず、人を知らざるをうれうるなり)一般的には、「人が自分のことを理解してくれないことを不満に思うのではなく、自分が人のことを理解していないことを心配すべきである。」と解説されています。
これはさらにレベルが高いですね。このとおりの心を常に持ち続けられたら聖人といえるでしょうが、私のような凡人には簡単ではありません。
ただ、人と人とのトラブルが発生したときに、相手に自分のことを理解させようとしてもうまくいかないときには、自分が他人を知ろうとすることによって解決の道が開かれることがあるというふうに読むと、なるほどと思わされます。相手の真意を知ることに解決のヒントがあるということは弁護士の仕事の中でもよくあることです。
その昔は、説教を受けているという程度にしか受け止めなかった論語ですが、三十数年ぶりに読んでみると、新しい発見がありました。
弁護士 近藤明彦
著者:近藤 明彦
話しやすい雰囲気で相談・打合せを行い、丁寧な事件処理をすること。依頼者の皆様の満足と納得を最優先にし、安心感を得ていただけることを目標として頑張っています。以前依頼者であった方から、別の事件の相談を再び受けること(リピート)、別の相談者を紹介していただくこと(孫事件とでも言いましょうか)が多く、そのことが私にとって大きな励みになっています。お客様から満足していただけたかどうかのバロメーターであると考えるからです。
変えないものと変えるもの
アナログとデジタルの交差