2009年6月18日
新潟水俣病の現在
(2009年5月15日発行ほなみ掲載)
阿賀野川下流域に水俣病が発生していることが最初に公表されたのは、1965(昭和40)年6月12日。熊本県水俣市で水俣病が発見されてから9年後のことで、第2の水俣病とも呼ばれました。それから44年が経過した現在、今なお新潟県内には、水俣病と認定されない約300人の水俣病被害者が、闘病生活を余儀なくされています。未認定患者の数は、九州では2万7000名を超え、1700名以上の患者がチッソと国、県を被告として裁判を提起し、損害賠償を求めています。
この4月7日、新潟県内の水俣病被害者が原告団結成会議を開き、昭和電工と国を被告として新潟地裁に損害賠償を求める民事訴訟を起こすことを決めました。当日は新潟水俣病共闘会議の関係者も参加。原告団として出席したのは新潟水俣病阿賀野患者会の会員約20名。その多くは、60歳代から70歳代の方々で、80歳代から90歳代の方々も数名おられました。
出席者は自己紹介をしながら、裁判を決意した心境を披瀝。ある出席者は、厳しい認定基準を一向に変えようとしない行政や認定審査会の態度を非難しました。昨年と一昨年、新潟県内では阿賀野患者会の会員9名を含む19名の被害者が認定審査会にかけられたものの、1名を除いて18名が水俣病患者であるとは認定されなかったのです。
会議では、原告団と新潟水俣病共闘会議が一体となって、昭和電工と国に対して水俣病の全被害者の救済を内容とする水俣病問題の全面解決を求めることや、訴訟を通じて、現在の認定制度とは異なる水俣病被害者の全員救済につながる司法救済制度の確立をめざすことを確認しました。
弁護士 中村 周而
著者:中村 周而
さまざまな問題を依頼者の皆様と一緒に考え、解決をめざします。 最近は、社会の高齢化が進む中で、高齢者をめぐる貧困、医療、介護、家族との関係などさまざまな問題が深刻さを増しています。私もそうですが、団塊の世代を含めた高齢者が、もっと声を大にして問題の深刻さを訴える必要がありそうです。