新潟合同法律事務所(新潟県弁護士会所属)

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2010年5月28日

長崎市亀山社中記念館 

 この春、熊本に出張したおり、少し時間があったので足を延ばし、長崎市亀山社中記念館を見学した。今、大河ドラマでも大活躍の坂本龍馬が、日本最初の商社である亀山社中を結成したのは慶応元年(1865)の夏。それから約2年後の慶応3年11月15日、中岡慎太郎と共に京都河原町の近江屋で刺客に襲われ、33歳の生涯を閉じるまでの龍馬の活躍ぶりは、だいぶ前に読んだ司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」でも堪能したが、この機会に改めて読みなおした。
 慶応2年1月、京都二本松の薩摩藩邸でようやくまとめ上げた薩長同盟に立ち会った龍馬は、その年の6月、下関ではじまった長幕海戦に参加。慶応3年1月には長崎の清風亭で土佐藩参政の後藤象二郎と会談し、海援隊を発足させる。そして、6月9日、長崎から京に向かう船中で起草し、後藤象二郎に渡した「新国家綱領」というべきものが「船中八策」であり、大政奉還から、議会制定、憲法制定が込まれている。後藤がこれを山内容堂に進言した後の政情も含めて、小説もこのあたりが圧巻。その意味で、長崎と亀山社中は、日本の議会制や憲法制定のゆかりの地のひとつといってよい。
 午前8時すぎに熊本港を出発。春霞に浮かぶ天草の島々を遠望しながらフェリーで島原に渡った。観光案内でもらったパンフレットによれば、龍馬は、元治元年(1864)2月、勝海舟の従者の一人として、この島原を経由してはじめて長崎の地を踏んだという。2人の旅姿を想像しながら、バスを利用して島原の乱の舞台となった島原城に立ち寄り、さらに列車で諫早を経て昼過ぎに長崎に着いた。
 「竜馬」の小説にも存在感をもって登場する貿易商の大浦お慶の居宅跡や、イギリスの貿易商で、亀山社中の仲介で長州藩や薩摩藩に軍艦や武器などを販売したトーマス・ブレイク・グラバーの邸宅を見た後、亀山社中に向かった。標識を頼りに山頂付近にある亀山焼竈跡を経て、昨年8月にオープンして間もない小ぶりの記念館に着いた。テレビドラマの影響もあってか、十畳と八畳の狭い展示室には大勢の見物客が押しかけ、お龍も弾いていた月琴や、龍馬が着ていた黒字羽二重の紋服、陸奥守吉行の刀一振など、あまり多くない展示品を熱心に鑑賞していた。
 記念館を出て、少し歩いて山頂の風頭(かぜがしら)公園にたどり着くと、司馬遼太郎の文学碑とともに、長崎湾を見下ろして腕組みをしている大きな龍馬像があった。やはり龍馬には広い海が似合っている。

弁護士 中 村 周 而

著者:

さまざまな問題を依頼者の皆様と一緒に考え、解決をめざします。 最近は、社会の高齢化が進む中で、高齢者をめぐる貧困、医療、介護、家族との関係などさまざまな問題が深刻さを増しています。私もそうですが、団塊の世代を含めた高齢者が、もっと声を大にして問題の深刻さを訴える必要がありそうです。

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